世界三大少年合唱映画


@ 野ばら
この映画の原型になるものは、1930年代に制作された「ウィーンの孤児」という白黒映画で、 この映画をリライトしたものが「野ばら」(原題 「我が生涯の最も美しい日」)です。
外国映画の日本公開にあたっては、客入りを考えるため、当然のことながら直訳ではないロマンティックな題がつけられることが多いようです。
原題は、主題につながっていることもあります。この映画の場合、ハンガリー動乱で避難してきた主人公のトーニ少年が、親切な老人 に引き取られ、やがてウィーン少年合唱団に入り、アメリカ公演の劇「美しい兄弟」で主役に抜擢されたときに言うセリフです。
このドイツ映画は、復興期のアデナウアー政権下のドイツ映画で、この時期のドイツ映画で日本公開されたも のはおおむね健全な倫理観が満ちあふれています。
そのため、寓話化された部分もありますが、何よりも人の善意を感じる映画です。
主演を奪われた少年の心に芽生える嫉妬という負の感情さえ、「しるこ」や「ぜんざい」における塩の働きをしています。
印象に残る場面は歌と共にあります。
トーニ少年が家事を手伝いながら歌う鼻歌の美しさに養父のブリューメルが驚いて歌う二重唱「陽の輝く日」、入団 試験の課題曲「ウェルナーの野ばら」、バスの中や遠足で歌われる「歌声響けば」、山の上で歌われる 「「ヨハン大公のヨーデル」等、独唱、二重唱、合唱などが、自然な形で映画の中に盛り込まれていますが、とりわけ チロルの背景を舞台に歌われた歌の数々は心に残ります。
しかし、1957年に制作されたこの映画は、あくまでも音楽映画であって、1960年代に日本 でも爆発的にヒットしたダンスの比重が高いミュージカル映画とは一線を画しています。
なお、主演のソリストの声は吹き替えですが、当時のウィーン少年合唱団の水準がいかに高かったかが伝わってきます。
なお、主演のミヒャエル・アンデは、その後も俳優を続けたようで、1960年代後半には、ス チーブンソンの「宝島」で、主演のジム役を演じたものが、NHKテレビ放映されたことがあります。
(そこでは、マイケル・アンドと英語読みで紹介されているのが笑えました。)


A 青きドナウ
「野ばら」が、ウィーン少年合唱団出演映画ならば、「青きドナウ」は、ウィーン少年合唱団主演映画と呼ぶべきでしょう。
前者がハンガリー動乱で孤児になったトーニ少年を主演にしながらも、合唱団の先生と寮母の恋愛を絡め たりして、ウィーン少年合唱団は背景的に描かれていたのに比べ、後者は主演の二人の少年を含めウィーン少年合 唱団が主演した映画であるからです。
この映画の原題は、映画のパンフレッドに「Born to Sing」(歌うために生まれて)と書いてあったので、ずっとそ れを信じていましたが、ビデオを買ったとき「almost Angels」(ほとんど天使)であることを知りました。
その理由は、アメリカのディズニー映画「almost Angels」がイギリスに渡って「Born to Sing」になったそうです。
また、ウィーン少年合唱団のあるオーストリアはドイツ語圏ですが、セリフも登場人物の名前も英語読みで、本来な ら、例えばピーターは、ペーターであるべきです。
主演級の少年たち少なくとも4人は、ウィーン少年合唱団員ではなく少年俳優です。
ですから、「野ばら」同様、歌声は吹き替えになっています。
この映画では「変声期」を巡る少年たちの心の葛藤が主題になっています。
美声の新入生 トニーは将来を嘱望されますが、変声期近づいた先輩ピーターはソリストを外され、嫉妬からいろ いろと意地悪をします。
しかし、トニーがそれを庇ったところから友情が生まれていきます。
ピーターに変声期が訪れたとき、トニーは仲間と共にそれを隠し一緒に海外演奏旅行ができるように画策します。その計画は失敗 しますが、その友情に感動した先生たちは、ピーターを指揮者助手として海外演奏旅行に連れて行きます。
ウィーン少年合唱団では、実際に団員に指揮をさせることもなければ、演奏旅行の前には、変声状況の調査をし ているようで、こんなドラマティックなことはないそうです。
ディズニーは、ウィーン少年合唱団、いや少年はかくあるべしという想いでこの映画を制作したと考えられます。
少年には高い理想を!少女にはあこがれを!そういう理念で作られた映画が最近は本当に少なくなってきました。悲しいことです。
なお、トニーを演じたヴィンセント・ウィンターは、数年前50歳で亡くなったというニュースが入りました。
ピーターを演じたショーン・スカリーは、マーク・トウェーン原作の「放浪の王子(乞食王子)」にも主演しています。


B コーラス
フランスでは、この映画を国民の7人に1人が見たそうです。
「コーラス」が日本でも大ヒットになって、世間の関心が少年合唱に向かってくれることを私は心から願っていました。
確かに日本でもそれなりのヒット作にはなりました。
確かに音楽の面では、すばらしい映画であり、「野ばら」や「青きドナウ」では描かれなかった人間の醜さや弱さも描かれています。
だから、この映画はただのお子様向けの映画ではない深いものがあります。
しかし、それ以上の何かが欠けていました。
それは、一言で言えば「恩」と「情愛」という人間にとって根源的なものでした。
この映画は、世界的名指揮者モランジュが、公演先のアメリカで母の訃報の電話を受け取るところから始まります。
葬儀が終わった後、彼を約半世紀ぶりに訪ねてきたのは、少年時代に学んだ寄宿学校 俗称「池の底」の同窓生のペピノでした。
ペピノが差し出す古い写真を見て、
「この先生の名前は何だったかな。」
それはないでしょう、モランジュさん。
あなたの才能を発見して、すさんだ精神的「池の底」より救出してくれた恩人じゃありませんか。
あなたがその後必死で人生を駆け抜けてきたのはわかります。
しかし、人はどんなに忙しくても、決して忘れてはならないことがあるはずです。
「あの、ツルッパゲ(あだ名)、あれからどうしたんだろう。僕はあれから必死で人生を駆け抜けてきたので、訪ねるゆとりもなかった。」
というセリフだったら、どんなに嬉しかったことか!
それをフランス人の国民性のせいに帰してしまうのは早計です。
私はフランスの作家エクトル・マロの「家なき子」におけるビタリスとレミや、現実の世 界におけるピアニストのコルトーとリパッティの麗しい師弟愛の世界を知っています。
だからこそ、このドライさがたまらないのです。
マチュー先生とそれを演じているジェラール・ジュニョの魅力は、凡人の魅力です。
それは、寅さんととそれを演じている渥美清に通じるものがあります。
かつて、劇場の幕引きをしていた渥美清が、女優に「その目じゃ、スターになれない。」と、馬鹿にされたと き、渥美清は、「自分の目は、庶民の哀感を表現できるのではないか。」と考えたそうです。偉大な凡人の言葉です。
マチュー先生の人と行動の中には愚かな部分もありますが、それがまた魅力的だし、苦節の中でも美しい心を持 ち続けていたことが、子どもたちに大きな感化を与えます。
しかし、そこにも限界があるというのがこの映画が描く現実の姿です。
「偉大な凡人」は、ときとして人を救い、世を救います。神様は、マチュー先生に孤児ペピノを育てる喜びを与えてくださったのですね。
原作本では、マチュー先生が学校を去る場面で、生徒たちが投げたメッセー ジ入りの紙飛行機を全部拾っていますが、映画では一部だけしか拾いません。
こういう部分の演出が荒っぽいんです。
こういう一つ一つの行動は人柄の現われなのですから、もっときめ細かく丁寧に扱ってほしかったと思います。
なお、モランジュの少年時代を演じたジャン=バティスト・モニエは、撮影当時1 3歳で、「サン・マルク少年少女合唱団」のソリストで、吹き替えでなしに歌っています。
2004年夏には日仏の文化交流のため合唱団の一員として、2005年春には映画のプロモーションで来日しました。